旧中浜小学校 - みやぎ観光復興支援センター スタッフブログ

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旧中浜小学校

宮城県の東南端、太平洋沿岸に位置する山元町は、暖かい気候で自然豊かな地域。特産のイチゴやリンゴ、ホッキ貝が有名です。

旧山元町立中浜小学校の校舎は、海から数百メートルの位置にあります。

1中浜小全景1

2011年3月11日に大地震が起きたとき、学校には多くの児童がいました。
地震直後、職員室のテレビに映った津波予想到達時刻は、わずか10分後。内陸へ1.5キロ先にある二次避難所の坂元中学校まで、低学年児童の足で20分以上かかります。

「今からでは避難が間に合わない」

校長先生の判断で、校庭に避難していた児童に校舎上階へ上がるよう指示。
やがて見たことのない大きな波が、海岸の松林をなぎ倒しながら襲ってきました。

3中浜小津波到達標示
 2階天井近くの高さに津波到達標示が貼られています

最初の波が学校の周りの建物すべてを押し流し、学校は陸の孤島と化しました。2度目の波はさらに高く、校舎の2階まで届きました。沖合からさらに高い3度目の波が迫ってきましたが、ちょうど引き波とぶつかったおかげで威力が弱まりました。
防災マニュアルで避難場所になっている体育館は、引き波で大破しました。

4中浜小1階廊下
 津波は内部を壊しながら1階廊下を通り抜けていきました

5中浜小破壊跡1

7中浜小体育館(解体済)
 床板がめくれ上がった体育館(解体済)

ほどなくして辺りは真っ暗に。美しい星の光が夜空を照らすだけ。
気温がぐんぐん下がる中、児童、教職員、保護者、地域住民など90人が、屋上の屋根裏倉庫で一晩を過ごしました。水も食料もありませんでしたが、階下や体育館から何とか毛布やブルーシートを探し出して寒さをしのぎました。トイレは倉庫にあったふたつの衣装ケースを利用しました。

「がんばろう。暖かい朝日は必ず昇るから」
校長先生がみんなに呼びかけます。

翌朝、上空を通りかかった自衛隊の大型ヘリで全員が15時間ぶりに救助されました。

奇跡ではなく、災害への備えと、現場でのより良い判断(特に初動)が、90人の命を救ったのです。
以前から高潮で校庭が浸水するなどの被害に遭っていたため、1989年に作られた学校は土地全体を1.5メートルかさ上げし、校舎は津波を受け流せるよう海に向かって縦長に建てられました。
また、東日本大震災が発生する2日前にも大きな地震があり、学校が事前に避難計画を確認していたことも役に立ちました。

8中浜小全景2

6中浜小破壊跡2

震災後、中浜小学校は2年間坂元小学校に併設された後、2013年3月、統合により閉校しました。
ガラスが割れ、天井が落ちるなど、津波で校舎の中は破壊されましたが、5年経ってもしっかりと立っています。
守ってもらった多くの人たちに感謝されながら、震災の記憶を伝え続けるこの校舎は、震災遺構として保存方法が検討されています。

9ハンカチ・慰霊塔・中浜小

そばに掲げられているのは、全国から届いた応援メッセージや、地元の中学生が書いた黄色いハンカチ。寄せられたたくさんの支援への感謝と、元気な山元を全国に発信したいという願いが込められています。

10幸せの黄色いハンカチプロジェクト

所在地:宮城県亘理郡山元町坂元久根22
※校舎内は立入禁止です。

(お)

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