
「震災前、ここには民家がいっぱい建っててね。
今、あなたの目の前に広がっている、あの水平線。
このお寺の本堂からも見えることはなかったんだよ」‐
震災後、仕事で何度か階上地区にあるお寺「地福寺」を訪れる機会があって、
そのたびにご住職の片山さんは、本堂の窓から見える海を
指さしてそういう話をしてくれました。
階上地区は気仙沼中心部と大谷海岸の中間にある地域で、
その昔、伊達家直轄の「塩田」などもあった地域で、
その先には、天皇・皇后両陛下も訪れた岩井崎があります。
震災後、この地域の住民はほとんどが仮設住宅や
気仙沼の中心部などに移動しましたが、
跡地は気仙沼市内のがれき集積場や処分場として
利用されていました。
そのがれきの処理も今年の春頃に終了しましたが、
沿岸の堤防建設や地区内にある向洋高校跡を
震災遺構としてどのように活用するか、といった話もあることから、
地域全体の本格的な復興は手つかずの状態になっています。
そのような中、被災直後からこの荒涼とした場所に
緑を取り戻そうと活動しているのが、冒頭で紹介した「地福寺」さんと、
そこのご住職が役員を務めている「NPO法人 海べの森をつくろう会」で、
被災した翌年の2012年からこの地域の植樹活動に取り組んでいます。
その取り組みの一つが、この「鎮魂の森」ですが、
10月8日に記念碑の建立式がありました。


この記念碑には、「鎮魂の森」とそのはじまりの植樹祭を行うにあたって、
この場所を提供してくれた方々への感謝とともに、
どのような経緯や想いでこの場所が設けられたかが記されています。
そして、もう一つある石碑は、この土地の提供者のご親族で、
今回の震災で故人となられた方が生前に詠まれた句碑となっています。
※式典の詳細については、
こちらをご参照ください。

この「鎮魂の森」は、今から2年前の第1回目の植樹祭の時にお伺いしたことがあって、
その時は「こんな荒れ地に植樹して大丈夫なんだろうか」と思いました。
それは「鎮魂の森」の関係者の方も懸念していたそうで、
実際に植樹した何本かは冬を越せなかったそうです。
でも春になると、冬を越した木々が芽を吹き出し、最初は足首程度の高さしかなかった苗木も、
年を重ねるごとに腰の高さや胸の高さくらいまでに成長しています。
今では、この植樹活動も、階上地区の恒例行事となり、
昨日の10月13日には第3回目の植樹祭が行われ、200人が参加しました。
またこの地区では民宿や食堂などもあちこちに復活しています。
(ほや丸)
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