もう一つの広瀬川 四ツ谷用水(第1部) - みやぎ観光復興支援センター スタッフブログ

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もう一つの広瀬川 四ツ谷用水(第1部)

100万都市仙台は、所々に街路樹が配置され、新緑や紅葉といった四季を彩って
います。
戦災で一時は焼け野原になったものの、戦後の土地区画整備事業で、植樹や公園
整備により失われたみどりを取り戻し、“杜の都・仙台”として広く知られるよう
になりました。

仙台市の礎を築いた伊達政宗がこの地に町割りを決意し、城下町整備に着手した
のが1601年。
伊達政宗騎馬像2
▲仙台藩祖 伊達政宗騎馬像


当時の現市街地は、荒涼とした原野が広がり、青葉城下を流れる広瀬川とは断崖
絶壁の高低差がある為、生活用水に必要な地下水に乏しかったとされています。

広瀬川断崖 完成形3
澱橋より東側(仙台市街方面)を望む


そこで政宗は、後に北上川治水工事で多大な功績を残すことになる川村孫兵衛
重吉に、城下町へ井戸水として供給できる用水路整備を命じたと記録にあるよ
うです。

川村孫兵衛重吉 過去ログ
(1)2012年8月4日
(2)2014年8月10日

孫兵衛重吉は広瀬川の上流に堰(四ツ谷堰)を設け、傾斜を巧みに読み、梅田川
までの約7kmに及ぶ本流に、幾つかの支流・分流をつくり、城下町に広瀬川
の水を滲み込ませ、生活用水や防火用水の確保となりました。
取水口 完成形2
▲国道48号線作並街道生瀬橋より四ツ谷堰を望む(手前の橋は仙台北環状線)


着工から400年以上経過した現在でも、四ツ谷堰より取水された水はとうとうと
流れ続け、「四ツ谷用水」として、農業用水・工業用水に活用され、梅田川の水
量を保つなどの役割を担っています。

用水路  


用水路4  四ツ谷堰用水2


鉄道や機械も無く、電気も石油もまだ登場していない時代に、傾斜・勾配を利用し
た治水工事で仙台市を潤した“もう一つの広瀬川”である「四ツ谷用水」は、今日の
“杜の都”と呼ばれる原点といえるかもしれません。


次回(第2部)は、当時の四ツ谷用水の面影を残す遺構を中心に紹介します。



(TOM)


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